ボレーは禁断のショット!?

長谷川誠

2010年12月18日 00:30




早いもんで僕がテニスを始めて約20年程たちます



相変わらずボレーは苦手なショットです





しかし、テニスの歴史をさかのぼるとボレーは禁断のショットだった時代がありました



元々テニスはフランス、パリが発祥の地らしく



その後イギリス、オックスフォードなどの貴族の社交の場として発展していったようです



パリ生まれオックスフォード育ち



カッコイイです



社交の場として発展していったテニスは当時、勝敗よりもラリーを楽しみ技を競うスポーツ



ルール的にはOKでも、ボレーはラリーを中断させてしまう



まさに禁断のショットだったようです



しかも、当時は今よりもネットの位置が随分高く早いボールでストレートのダウンザラインに打つ事じたいが不可能



と、言うより当時の木のラケットと羊3頭分の腸から作ったガットでは



反発性が無さすぎて早いボールを打つ事が出来なかったようです



ネットが高くてボールが遅ければ、自然とセンター付近でのラリーになり技を競う転回になります



しかし、いつの時代も先駆者というのはいるもんで



伝統のウィンブルドン第1回大会チャンピオン「スペンサー・ゴア」は気付いてしまいました





「ダウンザラインが無いなら、クロスにアプローチしてクロスのパスを待ってれば全部ボレーで決めれる」と...



1877年の話しです



クロスのパスを待つだけなら、クロスにアプローチした方がポジション取りしやすいので



完全に必勝パターンです



結果、6-1、6-2、6-4



所要時間48分で優勝!



しかし時代的に問題のあるショットを繰り返した彼は疎まれ、嫌われみんなに対戦を拒否られました







その後、さらに発展したテニスは競技性も増し現在のネットの高さになりました



そこに登場したのがオーストラリア勢!



オーストラリアは元々イギリスの植民地にして流刑地



この地にテニスが広まるとボレーは勝つための戦術、また次第に登場してきたハードヒッターに対抗する手段として発展していきました



さらにコーチなどいなかった為、セオリーなんかあったもんじゃありません



おかげで現在の主流である「ダブルハンド」も同時に発展していき



オーストラリア伝統の「サーブ&ボレー」が登場してきました





ダブルスで言えばオーストラリアンフォーメーションもそうかもしれません








しかし、貴族の社交の場だったテニスも全世界に普及し



神久呂の田舎で育った僕でもやれるような時代になって本当よかったなー



関連記事